2012年7月22日日曜日

Mixi アーカイブス 映画「バッシング」


バッシング


2006年09月13日

(レビュー)
監督:小林政広/出演:占部房子、田中隆三、 
 大塚寧々、香川照之/制作Film(シアターキノ) 
 公式サイト http://www.bashing.jp/ 

京都・みなみ会館で昨日、見てきました。ほぼ思いつきです。 


 この作品は「イラク人質事件・自己責任バッシング」という、 
未だ記憶に新しい現実の事件をモチーフにしたフィクションである。 
人質の身から無事解放され、帰国して半年たった主人公の女性が、 
バッシングを浴び、再び中東へ旅立つまでの経緯が描かれている。 


 昨年のカンヌ映画祭のコンペティション作品として出品、海外の 
メディアなどから高い評価を受けたそうだが、肝心の国内ではほぼ 
無視された形になったそうだ。こういうのを世間では問題作という。 


 ほぼ出資の見込めない低予算映画であり、監督自身が自腹さいて 
製作したという割には、この監督、自分は社会派では無かったそう。 
なぜ、お金もないのにこんなリスクを冒したのかなあ、と思う反面、 
「おぬし、よくぞ血迷うた」という感心もある。見た直後に特に。 


 この映画の風評はミクシィのレビューなんかを見ても分かる通り、 
絶賛する人と踏みにじるようにけなす人と、ほぼ二通りに分かれる。 
しかし、よくよく読んでみると褒める方はそれほでもないが、逆に 
悪くいう方は凄まじい。これでもか、というくらい叩かれています。 
「バッシング」を映画にしたらそこにバッシングを浴びた、という 
面白い構図になっている。 


 これが自国問題であるというだけだったら、おそらくここまでの 
悪評は無かっただろう。日本人のタブー領域に踏み込んだ、このよ 
うな映画を作るにあたり、監督が参考にしたのは作家・桐野夏生の 
「グロテスク」だったそうだ。この辺りがユニークです。 


 正直、観る側にしてみたら、日本人なら誰でもきっと窒息寸前。 
勝手な憶測に過ぎないけど、多くの人は耐えられないだろうと思う。 
「ああ、この悪夢、早く終わらないかな」というような、映画館に 
あるまじき、とてつもなく長い時間がそこに流れる。 


 書き出したはいいけど、考えがまとまらないから明日に廻します。 


すいません。 


インタビュー記事
http://www.fjmovie.com/main/news/2006/news05_bashing_interview.html

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 この映画から感じる違和感は、おそらく自己嫌悪により派生する 
ものではないか。かつ主人公は、それに追いつめられるもする。 




 もしも、あの時、日本政府がアメリカ主導による対イラク戦争を、 
「支持しない」という立場を取っていたら、自衛隊もはるばるイラク 
くんだりまで派遣されなかったし、ボランティア達を人質に取られる 
ことだってなかった筈だ。でも現実は、悲しいかな、米国に歯向かう 
日本政府、ブッシュを支持しない小泉純一郎など、あり得ないのだ。 


 結局、自己責任という言葉を持ち出したのも、後先考えずイラクを 
敵に回してしまったり、アメリカにいち早く追随することだけを考え 
ているみっともない自分(日本)を覆い隠したいような、恥ずかしい 
気持ちだけだったんじゃないだろうか。つまるところ、あれだけ威勢 
良く「テロには屈しない」と言って置きながら、米国に足手まといと 
思われるのが嫌で、恥ずかしくなり、必死に言い逃れしているような 
ところがあった。万が一あいつらが殺されても、オレ様には関係ない、 
という態度を何が何でも貫き通そうとしてがんばっていた。 


 多くの海外メディアからこの作品に関して「なぜ人質(被害者)に 
対して帰国後もあれほどの非難が浴びせられたのか、理解できない」 
という質問が相次いだそうだが、きっと日本人自身にもよく分かって 
いないのである。二ちゃんの住人らが空港にまで出向いて「ぬるぽ」 
とかいうプラカードを掲げてたとか、そういうのを聞いても行動が 
全然大人げないというか、冷静さを置き去りにしていたものが目立ち、 
議論もどこかしら空虚なものばかりで、空気だけが尋常じゃなかった。 


 映画のレビューをみると「主人公は弱い。現実から逃げている」と 
いう批判をよく見かけた。しかし、主人公は映画で見る限り、現実と 
戦っていた。弱いのは、そういう主人公を「正論」という名の非難を 
彼女に浴びせ続ける、姿の見えない周囲、世間一般人である。 


 まさに、彼女は自分が間違っていなかったことを証明するために 
再び中東に身を投じる。この行動を、やっぱり自己正当化ととられる 
かもしれない。だが、それも覚悟のうちである。もう帰ってこない、 
と言って日本を出るのだから。そしてその時の荒んだ冬の海に向かう 
不動の主人公の清々しい表情、それは「この映画には救いがない」と 
いう見地と、真っ向から対立するのである。 
  
 この作品の中核をなすのが主演の占部房子の演技力。すごいです。 
久しぶりに抜き打ちでこういう不良映画に出会えて、本当にうれしい。 
オール苫小牧ロケ。北海道の冬の殺伐とした景色が、涙と感傷を誘う。 




 この作品を「おしん」と比較してみると、面白いかもしれない。 
  


カンヌ授賞式の監督とヒロイン(占部房子、大塚寧々




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