2010年12月30日木曜日

今年の反省と・・

さて、一年の終わりに。気合入れて反省しようとおもったが、何か悪いことをしたあとの気分のようになってしまって、どうも反省する気にならない。こまった

しかし、ブログの投稿者としてどうしても反省しなくてはならないことが一つ。それは、このブログであんまりボサノバの話題に触れていないということである。・・・・いや、ほんま申し訳ない。今年はボサノバ以外のことをやりすぎました。これにはイイ面と悪い面がありますが、ここでは書きません。てか書けません。そう、自分の背中もかけません。

というわけで、ま最後くらいボサノバな話題で締めくくりたいと思うのですが。

ジョアンの愛したサンバ」というCDを聞いてみましたので。
それのレビューということで。

◆ Os Sambas Que Joao Gilberto Ama
オムニバス http://t.co/LDPyfy0
「ジョアン・ジルベルトのレパートリーにはボサ・ノーヴァが創世される以前の1930~50年代に作られたサンバの楽曲がたくさん含まれる。それらの貴重なオリジナル録音を集め、ジョアン・ジルベルトの音楽のルーツに迫ったのがこの編集盤だ。さらにマニアが探し求めた幻の初SP音源や、ソロ・デビュー前に参加していたガロートス・ダ・ルア名義の貴重な音源も追加。若き日のジョアン・ドナートのアコーディオン演奏まで聞ける曲も収録される。それらのほとんどは世界初復刻。ボサ・ノーヴァやジョアン・ジルベルトを愛するすべてのファンにお聞き願いたい究極の編集盤。」

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この最後の二曲で、ジョアンの記念すべき初録音が聽けるのですが、もちろんこのコロにはまだボサノバは生まれておりません。だから、知らないで聴くと、聞き流してしまいます。つまり、のちに彼は誰にも頼らずにジョアン自身の、ボサノバの歌唱法をやっぱり編み出したのだということがはっきり証明できているです。

あと、私個人の意見としては、ボサノバよりもこの頃のサンバの方が、ずっとアメリカ的で、ジャズよりであったことは間違いない。ジョアンは、そこから音楽を解放したのだというのがそう(もちろんボサノバもといブラジル音楽を愛する方はみんなご存知のこととおもいますが)です。編成とアレンジに一番よく表れているが、ここに聞かれるのはある一方的な手法に基づいた不自由な表現という風に聞こえる。

 対照的にだからジョアンの表現は、とても詩的で、繊細なやり方であった。まるでぜんぜんちがう歌を歌っているようにすら聞こえた。ギターも歌も、自分の脈拍を計っているみたいな感性だった。ジョアンの「二回目」デビュー当時、それはずっと驚きとともに受け入れられたし、また一部では全く受け付けなかったらしい。しかしそれが、何十年にもわたってブラジルだけでなく全世界でボサノバとして定着したことこそがジョアンの表現の確かさを物語っている。マエストロTomは先に逝ってしまったが、何しろ伝説はまだリオで生き続けているのだ。

また、リオでボサノバが産声をあげたこの当時は、ラテンアメリカの各地で、アメリカの経済支配からの解放、自立的な動きが連動して起きており、キューバでもカストロ軍事政権ができたり、文化的にも社会的にも免疫作用というか、拒絶反応があったと考える。もちろんボサノバもそういった流れのパーツであったのではなかろか。

もちろんすべての音楽は完全にジャズというおおきな影響から逃れることはできなかったが。


ということで、このCD、あえてオススメするほどではないかも。
ジョアンの超ファン、でもわざわざ買うことはないかもしれない。
だから「騙された!」とかいって苦情よこさないでね。
じゃあ、また来年!。


あ、言い忘れたけど。
このブログをチェックしてる人は、最後に、この記事のおしまいの<クレイジー>というところにを入れてから新年を迎えてくださいね。いっておくがこれは至上命令です!そうしないと、来年幸せになれません。それどころか、あれですよ、へタするとこのブログが失くなってしまうかもしれませんよ!え、そんな脅しは全然こわくない。まあ、そんな冷たいこと言わずに。


んなわけで、よろしく。

ATE LOGO!


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