2010年5月6日木曜日

先は闇

なぜ人はガンバリ続けるのか “努力教”は人を苦しめる論理




http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1003/19/news006.html

頑張りつづける理由は、おそらく多くの場合お金ではない。大抵の労働者の頑張りというものは給料アップには直には結びつかないと推測。この世、労働者のあがりは地位とか仕事の内容が左右する。

頑張りつづけるのは、頑張っている自分が好きだからである。かっこいいからである。逆にいえば、頑張っていない自分は会社のお荷物で、そんな自分を受け入れられないのだ。価値がないのである。だからどんなに仕事ができなくても、その人が頑張っていさえすれば、周囲は認めてくれるのだ。しかしそうならないケースが成果主義。(能力主義は頑張っていればOKな。)成果主義は頑張っていなくても成果をあげればいい・・。ではなくて、「個人の優劣は評価の優劣につながり、給与に反映される」ということ。さらに「向上心がある人は、より自分を高めよう(会社の利益になるよう)と努力するはず」という雇用側の思惑。さらに拡大して「向上人のない人は、会社のためじゃないからクビ」リストラの自己正当化。

これは明らかに雇用側の洗脳、脅迫であるが、頑張っている人にとって頑張っている自分がかっこいいいあまり、それになかなか気がつかない。とくにオスは頑張っている自分をメスにみせつけたいあまり我を忘れて仕事に打ち込んでしまったりする。それはそれでいいのだが、ついてゆく部下や周囲は迷惑かもしれない。でも、まだこの社会では頑張っている人につける文句はない気がする。せいぜい「体にきをつけろよ」といったところでしょうか。幸福は頑張りの行き着く先にあると、誰もが信奉してやまない。アラーよ!!。

個人の頑張りなんて知れていますよ。自分にご褒美という言葉がありますが、頑張った自分を自分で評価するのだから、よほど頑張らないとダメかとおもいきや。今現在これは自己評価の甘い人が周囲からの評価基準を信じなくなった着地点のようにも思いますが。過去ご褒美とは親が子供を教育する行為であたえるものだったとおもいます。

0 件のコメント: