2015年1月5日月曜日

牛丼の未来

こんばんは。

昨年の末、暇にあかせて京都駅前のイオンモールに出かけた。
ちょっと無印で、買い物をしたかったからである。

 せっかく出向いたのだからと、駅南側の吉野家で牛丼を食べたくなった。
京都に来たのは2001年の時だが、そのころ京都駅前のパソコン関係の専門学校似に通っていて、吉野家で牛丼を昼に食べたものだった。まあ、たまにだけど。

で、懐かしさから行ったのもあるが、純粋に牛丼が食べたかったのっだ。

 まだ群馬にいた頃、高校生の時だけど、いきなり家の近くに「すき家」がオープンした時の衝撃は忘れられない。
 
 それまで、牛丼を食った記憶が無いから、すき家で食べた牛丼が人生最初の牛丼だったことになるだろう。持ち帰りもできるという「牛丼」という食べ物がこの世にあるということが、日本の食文化に関する自分の知識に混乱をもたらしたものであった。うまいとかまずいとかそういう事ではなくて、黒船にいきなり出会ったような感じである。

その時は吉野家の存在は知らなかった。
でも後に、すき家が吉野家のコピー経営であることはすっと理解できた。


 定かではないが一年か二年くらい前に京都のどこかで吉野家に入って、焼き鳥丼みたいなのを注文した時に値段の割にあまり美味しくなくて「もう、行くのやめようかな‥」とか思っていたので、ずいぶん吉野家には足を運んでいなかった。(同時にすき家にも)

話は、年末の京都に戻ります

 その日はちょうど東寺で「終い弘法」が行われた日だったようで、その日の吉野家はたくさんの人(おもに還暦をすでに迎えられているようなお方々)がちょうど駅に向かう途中に遅い昼食をとりに立ち寄る場所になっていた。店内で順番を待たなければ席に付けない状況だったが、一人で身軽だったこともあり、案内を受けるまでさほど時間を要さずに済んだ。

ちょうど値上げしたばっかりの吉野家、並と卵で、440円也。
割高感は否めない。でも、質は落ちていないし。店員は若くて、女性も活躍できる場。


 しかし、吉野家のこの活気をみて、(しかも自分の周りどころか、店内ほぼ高齢者)とりあえず「牛丼はまだまだ生き続ける」と確信しました。

なんか、滅びるんじゃないかとか、実は心配な面もあったので。

しかし、このコンセプトはまさに「兵隊の食事」だな、と即座に思った。

そんな場所で、老人たちがあつまって、飯を食っている。
働き盛りのサラリーマンだけでなく、年金暮らしのお年寄りたちの心もちゃんと掴んでいるんだからねー。
(お金のない学生も含め)

自分にとって、その日の吉野家のインパクトは強烈に残りました。

Ate Logo!!


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