2012年2月22日水曜日

アラームの日々

もうすぐ一年
去年の3月11日からあともうちょっとで1年になる。

地震が関東と東北を直撃し、津波が三陸を襲い、起こるべくして起こった事故によりかの地から出た放射能はだいたいの日本を覆い尽くし、海に流れだした放射性物質は魚の中にまで浸透し、目に見えないくらい少しずつ、日本の食卓から私たちの体内へるいるいと溜まってゆくのである。

まだ、ずっとアラームは鳴りっぱなしだ。
うるさいほど鳴り響いていて誰にも止めることができない。

それが聞こえている人と、聞こえていない人がいて、聞こえている人は、聞こえていない人にアラームの音を必死で聞かせようとする。しかし、聞こえていない人には、それが耳障りなだけだ。「うるさいな。何も聞こえないじゃないか。アラームがどうしたって?仕様がないな。いいかげんアイツを黙らせろ。」

あるいは、聞こえているのに、アラームの音を遠ざけ、耳を塞いでいる人もいる。そういった人は「アラームは鳴っていませんよ。気のせいでしょう。それよりも今までの生活をちゃんと続けましょう」といって、アラームの存在を忘れさせようとする。

たとえ音が届いてこなくても、どこかしこにアラームが鳴り続けていることを知らせる人がいて、アラームがなっていることに気がつく。そういう毎日。


アラームは鳴り続けている。それを聞きづづけることが、将来を左右する分かれ道になるはず。アラームを聞こう。アラームを聞くな、という人にも、やはりアラームは聞こえていると思う。そして本当に聞こえていない人には、できるだけ知らせて、何かが起こるようにと希望を捨てずにいたい。


あまり悪いことばかり考えすぎても、残りの人生がガリガリにすり減るだけだし。

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