2008年4月25日金曜日

 続・自殺と迷惑

 ここのところ毎日のように硫化水素による自殺者と近隣の住人の避難のニュースが入ります。この前、最近の自殺手法が自爆テロ化してきていることを書いたですが、自分の最期を迷惑で飾るというのは、古くからの日本人のもっている発想とは全く逆ではないかと思うのである、むしろ「これまでの人生、自分は世の中に迷惑ばかりかけてきたが、最後くらいは誰にも迷惑のないようにしよう」と考えるのが自然だったと思うのである。(間違ってますかね??)

 生きてゆく上で、「迷惑をかけるということ」を前提とするかしないかで、その人の考えは大きく違ってくると思う。私個人としては、迷惑をかける、という現象はその人が周囲に対して故意に行った嫌がらせではなく、湿気のあるところにカビが生えるような、自然発生的なモノだと思うのである。だから、迷惑はかけてはいけないもの、とか決めつけて迷惑を一概に排除することは逆に迷惑に対する感覚を失い、自分の放つ迷惑にたいし無感覚な人生を送ることになると思うのである。迷惑は自らの意志でコントロールするものではなく、たとえば自分の運命を受け入れるように、生きてゆくために吸い込む空気のように傍らにあるものじゃないかと思うわけです。

 だから生きていくことは迷惑をかけることという前提を持つべきだし、昔から日本人はそうしてきたはずじゃないかと。あの決して、すすんで迷惑かけろとか、開き直ってやたらめったら自分勝手にいきろって言ってるんじゃないですよ。迷惑を悪者にしないってことを言いたいんですよ。宮崎駿監督も言ってたかな。いったいいつから迷惑が排除の対象になったか。それは、日本の近代化途上における世間の消失とも関係があるのかもしれません。

 世間、人生において迷惑がいけないことだ、誰にも他人に迷惑をかける権利がないという間違った前提が蔓延していて、それで自殺者が増えていると仮定することはできないけど、なんだか、いまの日本人は非常に追いつめられて自殺している人が多いでしょう。死に逃げている感じなんですよね。だって自分からすすんで死にたい人が、この豊かな国でそんなにいるはずがないって思うんですよね。だから人間というのは、もっとずっとか弱くて、迷惑を掛け合わんと生きていけないんだという認識っていうか、前向きにいうと「けっこう迷惑に生きてゆける」って考えをもっと広めたい気がします、個人的に。

 あまり関係ないけど、宮崎監督は今夏上映予定の『崖の上のポニョ』公開に取り組んでいるそうです。楽しみ・・・。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「せっかく裕福な国に生まれたのに自殺する。」

そんな風に考える私には自殺する人の気持ちはわかりません。

自殺する人はすでに精神病だと思うので、
善悪の判断は付かないと思うんです。

「痛風」じゃないけど、一種の「贅沢病」かもしれません。

自殺で家族を無くされた方は気の毒ですが、
そんな風に思ってしまいます。
無責任な発言ですねよ。

匿名 さんのコメント...
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四奈川カオル さんのコメント...

自殺する人は「ダメだ、もう死ぬしかない」とおもって死ぬんだと思うんですよねえ。自殺が善だとか悪だとか考える余裕はきっとないでしょうね〜、ただ精神病にかかっていても自分から死なない場合だってありますよ、きっと。