2008年4月19日土曜日

自殺と迷惑

 ずいぶん前から考えていることなんだけど、この国の人間は、自殺する時に迷惑をかける人とかけない人がいる。たとえば東京で、朝の通勤時間に中央線ホームに飛び込んでその日のダイヤを乱す人の場合だが、もしかしたらこの人は、世間で、会社で、家庭で誰にも迷惑をかけないようにこじんまりと生きていた人ではないかと、疑ったりする。逆にいえば、すごくいい人だったんじゃないかと。なんか、最後の最後になんでもいいから悪いことしてみたかったんじゃないかなあ、と。

 社会で全く迷惑にならない存在であろうとすることは、実現不可能であるばかりでなく、その努力は無駄の骨頂な気がするが、それはさておき、自殺のときに迷惑な死に方をするのは、実はその人は自らの死をわざわざ迷惑な方法で行うことを積極的に望んでいるのではないかということ。・・これは別にその人のことを悪く言いたいわけではないので誤解しないでほしいが(かといって擁護でもないですけど)、この国ではなにしろ社会における迷惑行動の「無言規制」が非常に強い。常に、自分が迷惑かどうかを日々検証ながら生きているような人間の集まりといってもいいのではないかと。

 日本人にとって迷惑って、ほんと恐いんですよね。だって、かけられるより、かけることの方が恐いって場合もある。
だから、自分が迷惑な存在になりたいという願望、あるいは誘惑もたくさん抱えているんじゃないかと。そんな気がするんですよね。逆に。心のタブーみたいなもので、自殺した人に「またです。こんな迷惑な死に方やめてほしいですね」なんてニュースキャスターが言えるわけないですから。だって日本人は自殺した人をあくまで尊重するんです。悪く言ったらバチ当たります。それに、どんなに頑張っても周囲から「あんた迷惑なんだよ、でてけ」って直接言われるってのはまれでしょ。間接的に、遠回しに言われることは多々あるんじゃないかと思いますけど。

 最近良くニュースで目にするのが、硫化水素自殺とその巻き添えになる被害者のニュースである。硫化水素で死ぬ際に出る有毒ガスか何かのせいで、親族や近隣の住人が重体に陥ったり、ひどいと死んだりするのだが、これはどうみても自殺する人の心理として、他人を巻き添えにしたりするのが、つまり好きなんじゃないかと思う。例えば集団自殺する人たちの例をみても、みんなで仲良く迷惑を掛け合って死んでゆく感じがするでしょう。やっぱりひとに迷惑をかけると言うことに何かの安心感があるんじゃないかな。日本人は。

 なんかニュース番組見ていて、うーん自殺についてもっと掘り下げる番組が欲しいな、とおもいました。以上。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

もそまさんが怒っているのが良く判ります。
確かにとても迷惑です。

「流行の」って言ったらおかしいけど
硫化水素自殺は後処理も大変そう。

ホント、困りモンです。

匿名 さんのコメント...

なんか自爆テロみたいなんですよね。
怒っているというより、いつ巻き込まれるかと恐い感じ。

おも〜いトピックですが、まだなんか書き足りない気がするので、暇見て続編も書きます。