筋少(筋肉少女帯)のヒット曲に
「踊るダメ人間」
という曲があるのをご存知だろうか。
ボーカル/作詞の大槻ケンヂはこの曲中「ダメ人間」を何回も連呼した挙句、
ラストは
「そしてダメ人間の王国をつくろう! 王様は僕だ 家来は君だ ダメー! (それでも生きていかざるをえない!)」
歌詞
と締めくくられる非常にユニークな曲なのですが
けっこう私らは「ダメ」という言葉を自然に、すごく日常的に使っていますが、なんだかダメいうのはすごく日本的な言葉ではないか、と。おもったりして
ダメ、というのは通常「禁止」を表す語ですが、「ダメ人間」というときのダメとは、どうしょもない人のことを指しています。ただ、端っこの方の人ではあれど、よくみられるキリスト教的な「罪」とか「悪」をイメージさせるものではなくて、どっちかいうと「ムダ」的な意味合いでしょうか。
本来、双方の境にあってどちらの地にも属さないところを意味する囲碁用語
みたいです
どちらの利害にもかかわらない、ということでしょうか。
そして「ダメ出し」とか「おまえはダメな奴だなあ」というときの「ダメ」ですが、これは禁止やムダをさすのでもなく、また純粋に悪い、ということでもない。しいていえば愚鈍である、ある部分での才能が欠落してるといったニュアンスですが、そこまでの細かい意味でもなくもっと軽いんですね。「つかえねー」といった言葉も仕事場でよく聞かれる言葉であります。このニュアンスは日本人なら誰でも分かるが訳す時には説明し辛い。たとえば「痛いひと」といった表現もあるが、これも実に翻訳しにくい。
だから駄目というのは、本来なら「どちらの利害にもかかわらない」という意味であるのに、やもすると「お荷物な」というマイナスの意味として定着してしまっている言葉なのだ。
では、いったいダメ人間というニュアンスはどんなんなんでしょうか。だがダメ人間とひとくちにいっても、サイテーな人間のクズみたいなのではなく、すごく道にはずれたことをしたわけではない。生活責任能力のないひとといった感じでしょうか。真人間という言葉があるがその反対かな。しかし、日本全国かならずどこにでもいるイメージがあります。水戸黄門の一行にも八兵衛が居ますが、彼がいないと黄門様も腰が落ち着きません。
もしかしたら、仮説ですが、もしやどんな日本人の意識の中にも、「ダメ人間」の部分があって、それは日本人のDNA,アイデンティティに組み込まれているんではないかしらん。歴史的になにか日本人はとても自分を「駄目な奴」みたいに思い込んでいて、そこから無関係=お荷物=ダメみたいな自己マイナスイメージを自分の無意識中に組み上げているのでは?日本人が必要以上に謙虚で、例のないくらい日常に敬語を多用するのもこういったダメイメージにもとづくのではないかしらん。
以上、・・・そういうわけでして。今後このブログを通じて、全10回に渡り
日本ダメ人間王国論 を
国内初「ダメ・イメージ理論」を用いて解説していきたいと思っております。
(解説委員・もそま)
半年ほどおつきあいください。
(ウソ)
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